2007年11月27日火曜日

■宇野千代も楽しんだことでしょう。 ■紅葉






■岩国の紅葉も綺麗
■永興寺と書いて
■ようこうじと読む。
■洞泉寺と書いて
■とうせんじと読む。
■これらの寺は並んでいる。
■その周辺は大変紅葉が美しい。
■宇野千代もおそらくこの紅葉を楽しんだことであろう。
■岩国の風情は文学の心を刺激する。
■四季の恩恵に感謝
 



 



 

2007年9月27日木曜日

■満月 


■今日が満月

■昨日は十五夜

■ちょっと不思議


■実に美しい月に思わず写真を撮ると。

■家内が親子似ているね・・・。


■さっき娘が同じく月の写真を撮ったらしい。

■しかしここ最近にはない美しさにしばし見とれた。

 

2007年9月22日土曜日

■「宇野千代生家」 国の有形文化財


■岩国にある宇野千代さんの生家が国の有形文化財に登録された。

■四季を通じて大変美しい庭と共に一見の価値がある。

■宇野千代さんの評価についてはいろいろな意見がある。

■私は実にすばらしい人物と思っている。

■作家としても、デザイナーとしても

■また人間としての生き方もすばらしい。

■ほぼ一世紀を生き抜いたノウハウを教わりたい。

■私が生まれた1950年に彼女はパリの街をさっそうと歩いている。

■そんな写真を見るにつけ実にすばらしい郷土の先輩と誇りに思っている。


2007年9月2日日曜日

■宇野千代生誕110年エッセイ・コンクール

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宇野千代生誕110年エッセイ・コンクール

『幸福の言葉』PARTⅡ 作品募集要項

宇野千代顕彰会

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2007年

■1.趣旨"一握りの幸せを求めて生きるのが人間である"・・・日本女流文学界の大輪の花・宇野千代さんは、作家であると同時に、人生の優れた指南役でもありました。著書『幸福の言葉』の中には、心の琴線に触れる宝石のような言葉がちりばめてあります。昨年没後10年を記念し、従来の読書感想文ではなく、'エッセイコンクール 『幸福の言葉』'としましたが、生誕110年に当たる本年はそのPARTⅡです。あなたの日頃の想いや感じていることを率直に綴ってください。"幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある"・ ・・さあ、その第一歩、このコンクールに挑戦してみませんか。


■2.参考図書・応募作品 

(1)参考図書は、宇野千代著『幸福の言葉』(海竜社)とする。

  (宇野千代顕彰会事務局及び宇野千代生家でも入手できる。) 

(2)エッセイ(応募作品)は、一人一点とし、未発表の自作に限る。


■3.応募資格    高校生以上。住所、性別、職業など問わない。


■4.募集期間    平成19年8月10日(金)~10月10日 (水)

             〔当日消印有効〕


■5.応募方法 

(1)字 数  本文のみで400字詰め原稿用紙5枚程度

        (字数を超えないこと)               

        ワープロ原稿も可。(今回より用紙をA4サイズに統一) 

(2)表 紙 本文とは別に、題名・住所・氏名(ふりがな)・年齢

       電話番号(あればFAX番号も)

       『幸福の言葉』の何ページの、どの言葉を取り上げたかを

       明記(複数可)したものを本文の上に綴じる。(A4サイズ)


■6.応募先 〒741-0061 山口県岩国市錦見4-8-9   

          宇野千代顕彰会事務局「エッセイ・コンクール」係宛          

         TEL 0827-43-3302  FAX 0827-41-0525


■7.審査委員及び審査委員会 

(1)審査委員  黒田耕誠(岩国短期大学学長・広島大学名誉教授) 

         有田哲哉(元興亜レジャー開発株式会社取締役社長)    

         島津教恵(岩国市社会福祉協議会会長)  

         二宮信子(元岩国市女性団体連絡協議会会長・歌人) 

(2)審査委員会  審査委員長を互選し、委員会を開催。

           委員長が最終決定する。


■8.通知・公表   厳正な審査を経て、

             10月下旬に入賞者を決定し、

             本人に通知する。

             同時に、審査結果を報道機関に公表する。


■9.賞 

(1)一 席 (1作品を原則とする。)  表彰状及び賞金10万円 

(2)二 席 (1作品を原則とする。)  表彰状及び賞金 3万円 

(3)三 席 (1作品を原則とする。)  表彰状及び賞金 1万円 

(4)入 選 (5作品を原則とする。)  表彰状及び記念品 

(5)副 賞 (1)~(4)の入賞者全員 宇野千代関連の品 

◎「あっちゃん特別賞」(1)~(4)より1編 賞品(藤江淳子氏提供)


■10.表彰式   平成19年11月下旬岩国市内にて行う。        

           旅費等の必要な経費は本人が負担する。


■11.著作権・登載 入賞作品の著作権は、

             宇野千代顕彰会に帰属し、

             応募作品は返却しない。

             入賞作品は地方文化の会・岩国が発行する

             総合雑誌『21世紀』に登載する。


■12.主催・後援等 

(1)主 催  宇野千代顕彰会 

(2)後 援  やまぐち文学回廊構想推進協議会 

        岩国市教育委員会、

        和木町教育委員会、 岩国市文化協会、

        (財)岩国の文化を育てる会、地方文化の会・岩国 

(3)特別協力  宇野千代継承者・藤江淳子氏

2007年7月30日月曜日

■ 中華人民共和国から報道された両国の錦帯橋 

■錦帯橋は中日の姉妹橋

杭州の白堤は西湖の水面に横たわっている。東の断橋から西の平湖秋月まで長さ1km、まるで一本の錦の帯が紺ぺきの水の上に浮いているようである。白堤に橋が二本かかり、一本は「断橋」、あと一つが「錦帯橋」と呼ばれる。中国の人びとは断橋のことなら熟知しているが、錦帯橋についてはよく知らない。
 錦帯橋はその昔涵碧橋と呼ばれ、唐代からすでに存在していた。南宋になると、南宋の著名な画家李嵩が『西湖図』の中でここを描き、「湖山佳処」と呼んだ。その後、湖水の浸蝕と、長年手入れをしなかったことから、白堤は崩れ落ち、この橋もなくなってしまった。明の万暦17年(1589年)、司礼太監孫隆が白堤を修復し、「十錦塘」と改称した。また涵碧橋の旧跡に木をかけて梁とし、修復後は「錦帯橋」と命名した。清の康煕年間には、地元の役人は康煕帝が西湖で舟遊びしたいと言いだしたため、またもや石を切って橋をつくり、石橋となった。清の雍正8年(1730年)になると、浙江省総督の李衛が再度修復を加え、橋は今日見るような形となった。
面白いことに、日本の山口県岩国市の錦川にも同名の錦帯橋があるが、中国の錦帯橋と違う点は橋がアーチ型木構造ということだ。いまから三百年前、杭州の僧侶独立禅師は清朝を嫌って日本に渡った。その時、彼はふるさと西湖の史料を多数携えて行った。日本人民は昔から有名な西湖の山水風光や名所旧跡に憧れていたので、都合よく独立禅師持参の『西湖志』に記載された明代の錦帯橋の様式を模して、風光明媚な錦川の上に橋を架け、その名も「錦帯橋」と命名した。橋の姿は極めて壮観で、中国のものと異なる点は一方が清朝の石で作られた橋であるのに、もう一方は明代の木製のアーチ型の橋であることだ。1973年、岩国市民は錦帯橋建造三百周年を記念して盛大な慶祝行事を行い、中国の著名な書家趙樸初氏が自ら筆を執り、錦帯橋記念碑落成の碑文を書いた。
西湖と錦川は互いに遠く離れているが、二つの錦帯橋は姉妹同様一衣帯水の隣どうしの国の土地にそれぞれかかっている。二つの橋は中日両国人民の伝統の長い科学技術と歴史文化の交流の象徴であると同時に両国人民の友情の象徴でもある。

(「人民日報」海外版1990年1月5日)

2007年6月22日金曜日

■霊魂

■かつて日本人は言葉に霊魂が宿ると信じた。
■一方、中国では文字に霊魂が宿ると信じた。
■今日、話し言葉、書き言葉と言うように、音だけの世界と表記された文字の世界の二つがある。
■音楽と書道の両方に興味を持つ私にとって、この問題は非常に面白い。
■私は、この両方に霊魂は宿ると思う。
■ここまで、霊魂の定義をしてこなかったが、
■霊魂とは、生きる力、生かす力、動かす力、望む力等々と思う。
■しいて言えば霊魂とは、『力』であろうか。
■皆さんはいかがお考えであろうか。

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2007年6月6日水曜日

■漢字の書き順

■漢字の書き順は小学校のころ厳しく教育を受けたものです。
■確かに書き順が重要な意味を持つ場合も多いと思いますが、書道の筆法よってはまるで無視されたようなことも起きています。
■それと、習字では一旦書いたところを再びなぞってはいけないと教わりましたが、中国の超一流の書家が実際に書いておられるところを見ると、しばしばなぞっておられるのを見ます。
■当然こうなると、書き順なんてあったものではありません。
■しかし、彼らのなぞり、すなわち二度書きの後の文字は実にきれいに収まっているのです。
■私もたまにこの書法を真似しますがなかなかうまく出来ません。
■二度書きの技術も相当なものだとつくづく感心します。
■出来上がった書を見るとき書いた人の筆の運びを読みますが、こんな二度書きのことを知っていてもまったくどのように書いたのかわからないことも多々あります。
■墨の濃淡、筆の勢いをも整える技、やはり達人のみに許された道かもしれません。

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2007年6月3日日曜日

■鈍感力 ■睡眠力 ■悟りへのパスポート

■鈍感力を楽しく読んだ。
■自分がかなり鈍感と思っているから、面白い。

■どんなことがあっても平気で生きてゆける。
■これが悟りの境地と昔読んだことがある。

■宗教で悟りの境地とは という質問に
■何の迷いもなく死ねることと答えた人に対して、
■それは間違っている、まだ悟りが足らないといわれた人がいる。

■世の中、何があろうと、何が起ころうと、どんな境遇になろうと
■平気で生きてゆける。それが悟りだと。

■鈍感力は悟りの境地へのパスポートかも知れない。
■寝る子は育つ。



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2007年5月30日水曜日

■書道 と 酒道

■独断であるが、私の知っている書家には十分お酒をたしなまれる方が多い。
■中国の歴史書やいわゆる漢文をよく知っておられ、さらに昔の漢字の形をよく知っておられる。
■中国には碑林というものがあり、膨大な文書が林立した石の表面に刻んである。
■さしずめ今日流に言えば図書館のようなものである。もちろん貸し出しは重くて出来ない。その代わり、拓本を取って複製することは出来たと思うが。
■最近貴重な石では、拓本をとることが難しくなったと聞く。
■もっとも、貴重な石の現物はしまいこんである場合もあり、そのときにはレプリカを見ることになる。
■そんな石の盤面を見ながら、いろいろ先生に故事由来をお聴きするのが楽しい。
■平成の出典になった碑林も見たが感動する。
■何も豪快、流麗な字と酒は関係ないと思うが、書道と酒道とは関連があると聞いた。
■私は現在どちらも序の口であり、その両真髄を探求するのは至難の業である。

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■揮毫と運び

■揮毫といえば歴史上の著名な人物のもを頭に浮かべる。
■もっとも、『きごう』と言っても多くの方のイメージには『記号』のほうがなじみが深いかも知れない。
■書道に興味を持つようになって、いろいろな揮毫を注意深く見るようになった。
■一番の観察点は筆の運びである。
■書はリズムであり、調和であり、流れである。
■この点は音楽にも通じるところである。
■もちろん書かれている内容の文学的価値の重要性は言うまでもない。
■ところで、揮毫の中には、筆の運びがどうしても止まったように感じられる、もしくは、大きな軌道修正がなされたとしか言いようのないものがある。
■そこにはいろいろな理由があるのであろうが、自分が実際に書くときの参考になる。

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2007年5月29日火曜日

■国木田独歩と岩国

■国木田独歩の記念碑が岩国にはある。
■その昔、独歩のお父さんが、岩国裁判所の事務官であったために岩国で幼少時代を過ごした。
■当時裁判所の事務官は命を受けると全国各地に赴任した。
■今もそうであろうが、当時裁判所に勤められる方々はかなりの知識人であったと推察される。
■優秀な裁判所事務官のお子様の一人が独歩であったと言うことである。
■そもそも、広島県と山口県を担当する地方裁判所が岩国にあったと言うのも驚きであるが、
 そんな重要な役所が岩国にあったからこそ、独歩と岩国の縁が出来たのであろう。

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2007年5月26日土曜日

■雑誌の読み方

■私は雑誌を読むとき、あるいは見るときにちょっとした工夫をします。
■それは、一回にたくさんの雑誌を読みますから、ページをめくるのに通常の手の状態では滑ります。
■そこで引き金式のプラスチックのスプレーに水を入れて、それを左手に吹きつけ、手もみをして両手を十分湿らせてページを高速でパラパラとめくります。
■そして、気になった部分を一気に破りとります。
■もちろん重要な雑誌は一、二年あるいは数年保存するものもありますが、多くはその瞬間に捨てます。
■二、三十年前はどれもこれも保存していましたが、ムダでした。
■ところで、スプレーの水に若干ヘアーリンスを溶かし込んでおくと、香りもいいし手に何回付けてもかさかさしません。

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■ランダム読書

■私の本の読み方にはいくつかの流儀がある。
■自分でランダム読書と名づけているが、パラッとめくって開いたところを読む方法である。
■占いに凝っているわけではないが、そのページから始まるいくつかの事象にヒントを得て、その日の心の肥やしにする。
■これが不思議に、自分の心のレセプター(受容体)にぴったりとくることが多々ある。
■どんなキーワードもこじつければレセプターに合わせることは出来ると思うが、偶然のヒラメキ(開目来)に思いを寄せることも楽しいことである。

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2007年5月23日水曜日

■代理作文

■世の中には代理出産まで出現した。
■最近は演説にしても、ちょっとしたスピーチにしても、話者本人に成り代わってその文章を作る人がおられると言う。
■それが職業にもなっていると言う。
■劇場化した社会においては、ライブも録画も全てスピーチをしている人の存在そのものとパホーマンスが重要になり、その人の創造力を問うことが少なくなっているような気がする。
■人の意見をよく聞きますと言えばそれまでであるが、人間は自分の信念に基づく言葉でしゃべらないと、どこかでほころびが出そうである。
■特にライブがない書物に関しては、代理作家の介在の可能性を秘めている。
■短くても自分の言葉で語りたい、著したい。

   
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■コラムとメディアミックス

■新聞にしろ、雑誌にしろ私はコラムが好きである。
■短時間で読みきれる爽快さがいい。
■もちろん短文であるだけに内容がライトなものから、謎解きのようなものまで実にさまざまである。
■毎日の楽しみは、なんといっても新聞の一面の下方に大概ある各社精鋭が書かれているコラムである。
■このコラムの特徴は、前日までのニュースを題材にしたもの、当日の日にちに関連する話題が多い。
■当然、起承転結、メリハリ、ウイット、納得、ガッテン、という見事なものが多いいが、たまに私にとっては、あまり感動的でないものもある。
■そのようなコラムを読んだときには、自分の視野の範囲が狭いのだとつくづく思う。最近は気になった単語を元にインターネットで検索しさらに追跡をすることが多くなった。
■メディアミックスの時代である。


     ■1mcc.com

   

2007年5月22日火曜日

■人間の思いのほとんどは文学

■人間の思いは、ほとんど文字と文章で説明できる。
■もちろん、文章ではなく、図で示したほうが簡単なことは確かにある。
■しかし、今や全ての事象がデジタル化される時代である。
■デジタル化されるということは、それらが全て、『0』と『1』であらわされるということである。
■文学賛歌では文字で表されるものは全て文学に取り込んでいるので、文学の世界は広い。
■ただ、デジタルに対して、いまだにアナログの音を追及してやまない人も多い。
■このアナログの世界はこれまた無限の世界でもある。
■思うに文学賛歌以外の範疇に入る世界も、文学賛歌と同程度の規模と考えられる。
■とにかく、文学賛歌の世界に皆様と一緒に入ろう。

     ■1mcc.com

  

2007年5月21日月曜日

■ここでは法学も文学に入れる

■法学の扱う範疇は、人間社会の規律を求めて発展してきた。
■もちろん、成文化していない法律もあろうが、文字で表現されていることに変わりはない。
■文学賛歌では文字で表現されるもの全てをこの範疇に入れる。
■よって、当然法学は文学である。

     ■1mcc.com

  

2007年5月20日日曜日

■文学賛歌での文学の定義

■この文学賛歌では、いささかでも文字と文章が使われたものを対象に論じる学問すべてを文学と定義する。
■この定義に何かご意見がいただければ、幸いである。

2007年5月19日土曜日

■宇野千代  『朝御飯が・・・』

■『朝御飯がおいしければ一日が幸福です。』宇野千代『幸福の言葉』(海竜社)
■宇野千代は実に幸福という言葉を大切にした。
■100歳にならんとするまでの長寿を勝ち得た彼女のパワーの源は間違いなく食にあると言える。そこから語り綴られたシンプルな一文であるが感慨深。
■朝食にこめられた命の源が喜びのなかで自分の体に吸収される。
■毎朝おいしく朝食がいただける自分、それを幸福というのかも知れない。

2007年5月18日金曜日

■文学への憧れ

■私は今日まで文学の意味する真の範疇を間違えていたのではないかと、思うようになった。
■文学とは、夏目漱石であり、太宰治であり、芥川龍之介であり、はたまた、万葉集であり紫式部等々から連想される作品を研究することを文学と思っていた。
■はたしてそれだけなのだろうか。

■文学に対局する言葉

■文学に対局する言葉 は何でしょうか?

■お考えを教えてください。

2007年5月16日水曜日

■文学賛歌

■人類の創り上げた作品の中でもっとも偉大なものは文学といっても過言ではないであろう。
■人間が文字を発明してから今日まで、さまざまな出来事があったであろう。いま目の前にある文字の並びから私たちはそれを感じ、体験することが出来る。
■所詮人間の一生は自分の脳内に起こる生化学現象であるから、文字の並びによって、タイムトンネルタイムトンネルは開通し、タイムマシンは発進する。
■私たちに価値ある文字の並びをここでは仮に文学と呼びこれから文学賛歌のスタートを祝いたい。