『初日の出見ぬ世の人に御意を得る』
■新年にあたり一句うかびました。
■本年も宜しくお願いいたします。
2008年1月2日
2007年11月27日
2007年9月27日
■満月
2007年9月22日
■「宇野千代生家」 国の有形文化財
2007年9月2日
■宇野千代生誕110年エッセイ・コンクール
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宇野千代生誕110年エッセイ・コンクール
『幸福の言葉』PARTⅡ 作品募集要項
宇野千代顕彰会
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2007年■1.趣旨"一握りの幸せを求めて生きるのが人間である"・・・日本女流文学界の大輪の花・宇野千代さんは、作家であると同時に、人生の優れた指南役でもありました。著書『幸福の言葉』の中には、心の琴線に触れる宝石のような言葉がちりばめてあります。昨年没後10年を記念し、従来の読書感想文ではなく、'エッセイコンクール 『幸福の言葉』'としましたが、生誕110年に当たる本年はそのPARTⅡです。あなたの日頃の想いや感じていることを率直に綴ってください。"幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある"・ ・・さあ、その第一歩、このコンクールに挑戦してみませんか。
■2.参考図書・応募作品(1)参考図書は、宇野千代著『幸福の言葉』(海竜社)とする。
(宇野千代顕彰会事務局及び宇野千代生家でも入手できる。)
(2)エッセイ(応募作品)は、一人一点とし、未発表の自作に限る。
■3.応募資格 高校生以上。住所、性別、職業など問わない。
■4.募集期間 平成19年8月10日(金)~10月10日 (水)〔当日消印有効〕
■5.応募方法(1)字 数 本文のみで400字詰め原稿用紙5枚程度
(字数を超えないこと)
ワープロ原稿も可。(今回より用紙をA4サイズに統一)
(2)表 紙 本文とは別に、題名・住所・氏名(ふりがな)・年齢
電話番号(あればFAX番号も)
『幸福の言葉』の何ページの、どの言葉を取り上げたかを
明記(複数可)したものを本文の上に綴じる。(A4サイズ)
■6.応募先 〒741-0061 山口県岩国市錦見4-8-9宇野千代顕彰会事務局「エッセイ・コンクール」係宛
TEL 0827-43-3302 FAX 0827-41-0525
■7.審査委員及び審査委員会(1)審査委員 黒田耕誠(岩国短期大学学長・広島大学名誉教授)
有田哲哉(元興亜レジャー開発株式会社取締役社長)
島津教恵(岩国市社会福祉協議会会長)
二宮信子(元岩国市女性団体連絡協議会会長・歌人)
(2)審査委員会 審査委員長を互選し、委員会を開催。
委員長が最終決定する。
■8.通知・公表 厳正な審査を経て、10月下旬に入賞者を決定し、
本人に通知する。
同時に、審査結果を報道機関に公表する。
■9.賞(1)一 席 (1作品を原則とする。) 表彰状及び賞金10万円
(2)二 席 (1作品を原則とする。) 表彰状及び賞金 3万円
(3)三 席 (1作品を原則とする。) 表彰状及び賞金 1万円
(4)入 選 (5作品を原則とする。) 表彰状及び記念品
(5)副 賞 (1)~(4)の入賞者全員 宇野千代関連の品
◎「あっちゃん特別賞」(1)~(4)より1編 賞品(藤江淳子氏提供)
■10.表彰式 平成19年11月下旬岩国市内にて行う。旅費等の必要な経費は本人が負担する。
■11.著作権・登載 入賞作品の著作権は、宇野千代顕彰会に帰属し、
応募作品は返却しない。
入賞作品は地方文化の会・岩国が発行する
総合雑誌『21世紀』に登載する。
■12.主催・後援等(1)主 催 宇野千代顕彰会
(2)後 援 やまぐち文学回廊構想推進協議会
岩国市教育委員会、
和木町教育委員会、 岩国市文化協会、
(財)岩国の文化を育てる会、地方文化の会・岩国
(3)特別協力 宇野千代継承者・藤江淳子氏
2007年8月15日
■遺世独立
2007年7月30日
■ 中華人民共和国から報道された両国の錦帯橋
■錦帯橋は中日の姉妹橋
杭州の白堤は西湖の水面に横たわっている。東の断橋から西の平湖秋月まで長さ1km、まるで一本の錦の帯が紺ぺきの水の上に浮いているようである。白堤に橋が二本かかり、一本は「断橋」、あと一つが「錦帯橋」と呼ばれる。中国の人びとは断橋のことなら熟知しているが、錦帯橋についてはよく知らない。
錦帯橋はその昔涵碧橋と呼ばれ、唐代からすでに存在していた。南宋になると、南宋の著名な画家李嵩が『西湖図』の中でここを描き、「湖山佳処」と呼んだ。その後、湖水の浸蝕と、長年手入れをしなかったことから、白堤は崩れ落ち、この橋もなくなってしまった。明の万暦17年(1589年)、司礼太監孫隆が白堤を修復し、「十錦塘」と改称した。また涵碧橋の旧跡に木をかけて梁とし、修復後は「錦帯橋」と命名した。清の康煕年間には、地元の役人は康煕帝が西湖で舟遊びしたいと言いだしたため、またもや石を切って橋をつくり、石橋となった。清の雍正8年(1730年)になると、浙江省総督の李衛が再度修復を加え、橋は今日見るような形となった。
面白いことに、日本の山口県岩国市の錦川にも同名の錦帯橋があるが、中国の錦帯橋と違う点は橋がアーチ型木構造ということだ。いまから三百年前、杭州の僧侶独立禅師は清朝を嫌って日本に渡った。その時、彼はふるさと西湖の史料を多数携えて行った。日本人民は昔から有名な西湖の山水風光や名所旧跡に憧れていたので、都合よく独立禅師持参の『西湖志』に記載された明代の錦帯橋の様式を模して、風光明媚な錦川の上に橋を架け、その名も「錦帯橋」と命名した。橋の姿は極めて壮観で、中国のものと異なる点は一方が清朝の石で作られた橋であるのに、もう一方は明代の木製のアーチ型の橋であることだ。1973年、岩国市民は錦帯橋建造三百周年を記念して盛大な慶祝行事を行い、中国の著名な書家趙樸初氏が自ら筆を執り、錦帯橋記念碑落成の碑文を書いた。
西湖と錦川は互いに遠く離れているが、二つの錦帯橋は姉妹同様一衣帯水の隣どうしの国の土地にそれぞれかかっている。二つの橋は中日両国人民の伝統の長い科学技術と歴史文化の交流の象徴であると同時に両国人民の友情の象徴でもある。
(「人民日報」海外版1990年1月5日)






