2007年5月30日水曜日

■書道 と 酒道

■独断であるが、私の知っている書家には十分お酒をたしなまれる方が多い。
■中国の歴史書やいわゆる漢文をよく知っておられ、さらに昔の漢字の形をよく知っておられる。
■中国には碑林というものがあり、膨大な文書が林立した石の表面に刻んである。
■さしずめ今日流に言えば図書館のようなものである。もちろん貸し出しは重くて出来ない。その代わり、拓本を取って複製することは出来たと思うが。
■最近貴重な石では、拓本をとることが難しくなったと聞く。
■もっとも、貴重な石の現物はしまいこんである場合もあり、そのときにはレプリカを見ることになる。
■そんな石の盤面を見ながら、いろいろ先生に故事由来をお聴きするのが楽しい。
■平成の出典になった碑林も見たが感動する。
■何も豪快、流麗な字と酒は関係ないと思うが、書道と酒道とは関連があると聞いた。
■私は現在どちらも序の口であり、その両真髄を探求するのは至難の業である。

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■揮毫と運び

■揮毫といえば歴史上の著名な人物のもを頭に浮かべる。
■もっとも、『きごう』と言っても多くの方のイメージには『記号』のほうがなじみが深いかも知れない。
■書道に興味を持つようになって、いろいろな揮毫を注意深く見るようになった。
■一番の観察点は筆の運びである。
■書はリズムであり、調和であり、流れである。
■この点は音楽にも通じるところである。
■もちろん書かれている内容の文学的価値の重要性は言うまでもない。
■ところで、揮毫の中には、筆の運びがどうしても止まったように感じられる、もしくは、大きな軌道修正がなされたとしか言いようのないものがある。
■そこにはいろいろな理由があるのであろうが、自分が実際に書くときの参考になる。

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2007年5月29日火曜日

■国木田独歩と岩国

■国木田独歩の記念碑が岩国にはある。
■その昔、独歩のお父さんが、岩国裁判所の事務官であったために岩国で幼少時代を過ごした。
■当時裁判所の事務官は命を受けると全国各地に赴任した。
■今もそうであろうが、当時裁判所に勤められる方々はかなりの知識人であったと推察される。
■優秀な裁判所事務官のお子様の一人が独歩であったと言うことである。
■そもそも、広島県と山口県を担当する地方裁判所が岩国にあったと言うのも驚きであるが、
 そんな重要な役所が岩国にあったからこそ、独歩と岩国の縁が出来たのであろう。

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2007年5月26日土曜日

■雑誌の読み方

■私は雑誌を読むとき、あるいは見るときにちょっとした工夫をします。
■それは、一回にたくさんの雑誌を読みますから、ページをめくるのに通常の手の状態では滑ります。
■そこで引き金式のプラスチックのスプレーに水を入れて、それを左手に吹きつけ、手もみをして両手を十分湿らせてページを高速でパラパラとめくります。
■そして、気になった部分を一気に破りとります。
■もちろん重要な雑誌は一、二年あるいは数年保存するものもありますが、多くはその瞬間に捨てます。
■二、三十年前はどれもこれも保存していましたが、ムダでした。
■ところで、スプレーの水に若干ヘアーリンスを溶かし込んでおくと、香りもいいし手に何回付けてもかさかさしません。

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■ランダム読書

■私の本の読み方にはいくつかの流儀がある。
■自分でランダム読書と名づけているが、パラッとめくって開いたところを読む方法である。
■占いに凝っているわけではないが、そのページから始まるいくつかの事象にヒントを得て、その日の心の肥やしにする。
■これが不思議に、自分の心のレセプター(受容体)にぴったりとくることが多々ある。
■どんなキーワードもこじつければレセプターに合わせることは出来ると思うが、偶然のヒラメキ(開目来)に思いを寄せることも楽しいことである。

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2007年5月23日水曜日

■代理作文

■世の中には代理出産まで出現した。
■最近は演説にしても、ちょっとしたスピーチにしても、話者本人に成り代わってその文章を作る人がおられると言う。
■それが職業にもなっていると言う。
■劇場化した社会においては、ライブも録画も全てスピーチをしている人の存在そのものとパホーマンスが重要になり、その人の創造力を問うことが少なくなっているような気がする。
■人の意見をよく聞きますと言えばそれまでであるが、人間は自分の信念に基づく言葉でしゃべらないと、どこかでほころびが出そうである。
■特にライブがない書物に関しては、代理作家の介在の可能性を秘めている。
■短くても自分の言葉で語りたい、著したい。

   
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■コラムとメディアミックス

■新聞にしろ、雑誌にしろ私はコラムが好きである。
■短時間で読みきれる爽快さがいい。
■もちろん短文であるだけに内容がライトなものから、謎解きのようなものまで実にさまざまである。
■毎日の楽しみは、なんといっても新聞の一面の下方に大概ある各社精鋭が書かれているコラムである。
■このコラムの特徴は、前日までのニュースを題材にしたもの、当日の日にちに関連する話題が多い。
■当然、起承転結、メリハリ、ウイット、納得、ガッテン、という見事なものが多いいが、たまに私にとっては、あまり感動的でないものもある。
■そのようなコラムを読んだときには、自分の視野の範囲が狭いのだとつくづく思う。最近は気になった単語を元にインターネットで検索しさらに追跡をすることが多くなった。
■メディアミックスの時代である。


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2007年5月22日火曜日

■人間の思いのほとんどは文学

■人間の思いは、ほとんど文字と文章で説明できる。
■もちろん、文章ではなく、図で示したほうが簡単なことは確かにある。
■しかし、今や全ての事象がデジタル化される時代である。
■デジタル化されるということは、それらが全て、『0』と『1』であらわされるということである。
■文学賛歌では文字で表されるものは全て文学に取り込んでいるので、文学の世界は広い。
■ただ、デジタルに対して、いまだにアナログの音を追及してやまない人も多い。
■このアナログの世界はこれまた無限の世界でもある。
■思うに文学賛歌以外の範疇に入る世界も、文学賛歌と同程度の規模と考えられる。
■とにかく、文学賛歌の世界に皆様と一緒に入ろう。

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2007年5月21日月曜日

■ここでは法学も文学に入れる

■法学の扱う範疇は、人間社会の規律を求めて発展してきた。
■もちろん、成文化していない法律もあろうが、文字で表現されていることに変わりはない。
■文学賛歌では文字で表現されるもの全てをこの範疇に入れる。
■よって、当然法学は文学である。

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2007年5月20日日曜日

■文学賛歌での文学の定義

■この文学賛歌では、いささかでも文字と文章が使われたものを対象に論じる学問すべてを文学と定義する。
■この定義に何かご意見がいただければ、幸いである。

2007年5月19日土曜日

■宇野千代  『朝御飯が・・・』

■『朝御飯がおいしければ一日が幸福です。』宇野千代『幸福の言葉』(海竜社)
■宇野千代は実に幸福という言葉を大切にした。
■100歳にならんとするまでの長寿を勝ち得た彼女のパワーの源は間違いなく食にあると言える。そこから語り綴られたシンプルな一文であるが感慨深。
■朝食にこめられた命の源が喜びのなかで自分の体に吸収される。
■毎朝おいしく朝食がいただける自分、それを幸福というのかも知れない。

2007年5月18日金曜日

■文学への憧れ

■私は今日まで文学の意味する真の範疇を間違えていたのではないかと、思うようになった。
■文学とは、夏目漱石であり、太宰治であり、芥川龍之介であり、はたまた、万葉集であり紫式部等々から連想される作品を研究することを文学と思っていた。
■はたしてそれだけなのだろうか。

■文学に対局する言葉

■文学に対局する言葉 は何でしょうか?

■お考えを教えてください。

2007年5月16日水曜日

■文学賛歌

■人類の創り上げた作品の中でもっとも偉大なものは文学といっても過言ではないであろう。
■人間が文字を発明してから今日まで、さまざまな出来事があったであろう。いま目の前にある文字の並びから私たちはそれを感じ、体験することが出来る。
■所詮人間の一生は自分の脳内に起こる生化学現象であるから、文字の並びによって、タイムトンネルタイムトンネルは開通し、タイムマシンは発進する。
■私たちに価値ある文字の並びをここでは仮に文学と呼びこれから文学賛歌のスタートを祝いたい。